SM調教

【ゲイ】鬼畜な親に奴隷として育てられた僕wwwwwww

だけど、幸せなんです

僕の生い立ちを初めて文章にして書くので下手な文になりますがご了承下さい…。

僕は現在19歳になります。

父親は僕が生まれてすぐに離婚し、義父と母親と3人暮らしをしていた。

僕の記憶がある頃からすでに両親から性的なことをされていた。

義父は働いておらず、母親が仕事と趣味でBL同人誌を描いていたから一軒家で生活をしている。お察しの通り、僕はショタBLの素材としてさまざまなことをされていた。

小さい頃からのルールをまとめると…

・自分のことははると(はるくん)、僕、俺と呼ぶ。
・家、庭では服を着てはいけない。
・トイレはおまる(する時は報告)。
・床や椅子に座ってはいけない。
・外は危険だから出てはいけない。
・オナニー禁止。
・性器はちんちん、おちんちんと言う。
・普通のテレビを見てはいけない(AV系だけはOK)。

文を書きながら思い出すこともあると思うが、これらを守れなかったらお尻を叩かれていた。

覚えている範囲だが2、3歳頃に家にいるときは服を絶対に着てはダメだった。そしてご飯を食べるのもテレビや遊ぶのも必ず義父の膝の上だけで床や椅子に座るとお尻を叩かれる。

母親は僕が何をしていてもガラケーやスマホを向けて動画や写真ばかりを撮っていた。母親との思い出はなく、僕の顔を見る時は必ずカメラを向けているときだけだ。

両親は服を着ているのに自分だけ裸で嫌だと泣いたことがあった。その時はそれが普通のことなんだよと教えられていた。

義父は僕を膝に乗せている時は僕のちんちんや乳首をずーと触っていた。ご飯の時も。気持ちいいっていう感覚がなかったからただくすぐったいと嫌がるとまたお尻を叩かれた。

その頃の1番の楽しみは庭で遊ぶことだった。

幼稚園には行かせてもらえず外も庭以外出たことなかった。

庭にはちょっとした遊具があって小さなジャングルジム、バネの馬、滑り台がある。義父はわざとジャングルジムにお尻がハマるように僕を入れてきたり、バネ馬で震度させたりと僕もそれなりに楽しんでいた。

夏になるとホースで水遊びをする。集中的にちんちんを狙われた。

たまにだが、夜は両親のセックスを見せられた。

最初は母親がいじめられてると思って「ママを虐めないで!やめて!」と叫んでいたがそれが興奮したんだと思う。

嬉しかったのは母親のおっぱいを吸わせてもらうこと。でも年を重ねると義父の乳首を吸うことが多かった。

小学校には通わないといけなかったため、ちゃんと通うことになった。

半年前から服を着て過ごしたりしていたが嫌で嫌でハサミで切ったこともあった。もちろんお尻叩かれて覚えた。

小学校には義父が毎日送り迎えをした。だから6年間ちゃんとした友達はできなかった。

初めてトイレを見た時はどうすればいいか分からず何回も漏らして先生に連絡帳でオムツをした方がいいと言われたこともあった。

両親は流石にまずいと思ったのか家ではトイレトレーニングをした。覚えるまではおむつはした。

細かく書いたら長くなりすぎるから精通するまで飛ばします。

はじめての精通は義父の手で。小4だった。

いつものように義父の膝でちんちんを触られているとくすぐったいじゃなくて堪らない気持ちになった。

義父は僕の反応が違うことに気づくとすぐに母親を叫び呼んだ。

母親はカメラを構えて「いいよー」と言った。

後ろから両膝を抱えてちんちんを刺激する。

僕はいつもと違う感覚で「やだやだやだ」と何回も言った。多分泣いてた。

気持ち良くなってきて何故かふと手コキされて腰を動かしているAVを思い出してそれをやった。母親も義父も声を上げて喜んでた。

「おしっこでる、おまる行く、」と逃げ出そうとしてもがっしり抑えられM字開脚で後ろから手コキされ目の前には動画を撮っている母親に初めて射精をした。

精子を出すと義父は今までにないくらい僕を褒めてくれてすごく嬉しかった。

義父のちんちんは勃起していた。

それからほぼ毎日、僕は射精をする。

乳首を触られても気持ちくなり、アナルのマッサージをされていた。

小6頃になると僕は盛りのついた犬みたいに義父に「ちんちん触って」と頼んでいた。ちんちんを触る時はM字開脚かちんぐり返しだけだった。

義父はわざと「今日はダメ」と3日してもらえない時があった。耐えられなくてクローゼットの中でオナニーをしていると義父に見つかり引っ張り出された。

熱が出るほどお尻を叩かれた。叩かれている間もちんちんは勃起していて叩かれる振動で義父の足で刺激し射精をしてしまった。

「叩かれているのに出ちゃったの?お仕置きされて喜ぶのは変態な人だけだよ」と僕をたかい高いするように抱き上げ射精したちんちんを目の前でずーと見ていた。

この頃から調教が始まったと思う。

夏休みが始まると我慢できなかったからと僕のちんちんにコックロックをつけた。
コックロックをつけてからは母親は置きカメラを設置していて常に撮られていた。

1週間もすると気が狂ったかのように「ちんちん触ってください」と泣きながら土下座したこともあった。「俺は土下座を教えたことはないよ」とダメだった。

乳首を触って紛らわそうとしていてもバレてしまい赤ん坊がつけるようなミトンをつけられた。

僕は初めて精通した時を思い出して鼻水やら涙やら流しながら義父の足に腰を振った。短パンだった義父の脚はチクチクしていた。「お願いしますお願いします」と狂っていた。

義父はこの姿が見たかったらしく1時間ほど眺めていた。「よくできました!」と声と共にコックロックを外した。

「俺は手を貸さないから自分でやってみな。手は使うなよ」と言うと義父はソファーに膝を立てて横になって携帯を触わる。

僕は色んなところにちんちんを擦り付けた。机やソファ、窓や壁に床。手が使えないから体勢がキツくてどれもダメだった。

僕はまた泣きながら「出ないー」と喚いていると義父は見せつけるかのように膝を立てたまま貧乏揺すりをした。

僕はすぐに脚にちんちんを擦り付けた。暖かくてチクチクして振動が気持ち良かったのは今でも覚えてるくらいだった。

腰を振りながら僕は射精を何回もしている。義父は知らん顔で携帯を触っている。そのシチュエーションに興奮した。僕は変態だと自覚した。

この脚に腰振ることを義父は「わんちゃん行為」と命名し、「わんちゃんしていいよ」と言われるのが楽しみにしていた。

ちなみに小学校は休みがちだった。

僕は学校でクラスメイトの家族の話を聞いたり、普通の家庭のことを聞いたときに強く否定してしまったことがある。

不審に思った先生が家庭訪問に来たが義父は「母親は仕事詰であまり構ってあげられていないのは事実です」と深く頭を下げていた。虐待ではないと判断したのかそれ以降、何も言われなかった。

義父にはお仕置きされた。自分の家のこと、他人の家のことに口を出すなと。

中学になり毛が生えてきても剃られてパイパンだった。ちなみにトイレは相変わらずおまる。また3年間毎日送り迎えをしてくれた。部活なんてしなかった。

僕は不登校だった。義父に強制的だけど。

「中学は行かなくても高校はいけるし小学校みたいに中学ははうるさく言わない」と。

僕は調教済みな身体になっていた。アナルにはキュウリは簡単に入るくらいだ。色んな玩具も買ってもらった。興奮したのが庭にあるバネ馬の頭にオナホをつけてズポズポされることだった。

子供用なため足をガニ股にしてしゃがみ手を頭の上で組むと言う屈辱的なポーズで義父がバネ馬に乗って振動してくれた。義父はこの屈辱ポーズをしている僕が大好きみたいで「おねだり」と名付けた。「おねだりしてごらん?」がこのポーズの合図。

僕はお構いなしに声を出すようになったため庭では口に猿轡をされていた。あと義父の脚で腰振るのは続けていた。

義父は夜中に僕を散歩するようになっていた。念のため裸にロングコートを着た。首輪とリードはバレたら面倒くさいからと腰にロープを着けていた。すぐに隠せるかららしい。外が危険と言うのはまだ信じていた。

街灯の下でおねだりポーズをしたり公園や人気のない場所でわんちゃん行為をする。気持ちよかった。

僕の中でちょっとした事件が起きたことがある。

再び1週間前からコックロックをされてまたあの時みたいに狂っていた。

義父に車で遠くの公園に連れてかれた。裸のまま公園のトイレに連れてかれた。

そこには3〜4人ほど男の人がいた。ちんちんを出してる人もいた。僕は初めて生で義父以外のちんちんを目の前にしてびっくりした。

「ほら。昔から送ってる動画の子。すごいだろ」と義父が話していた。

友達なのかわからないが僕を小さい頃から知っているらしい。僕はとにかくコックロックを外して欲しくて泣いていた。

「あれか?射精ださせないやつしてんのか?」とみんな笑っていた。僕は恥ずかしいと言う気持ちがじわじわと出てきた。今までは笑われたことがなかったから。

僕は顔を伏せてダッシュで個室トイレに篭ろうとしたら腰にロープを付けていることを忘れてグイっと引っ張られて尻餅をついた。

脚が開いた状態で固まった僕の周りに大人が囲んで怖くて恥ずかしくて泣きながらおしっこを漏らした。その姿を見てもっと笑っていた。

「おねだりしてみて」と言われた。

僕は「やだ、パパ帰りたい」と泣いた。

すると義父は「はると、おねだりは?」と命令した。僕は嫌だ嫌だと首を振っていた。

他の男の人が持ってきた首輪とリードを僕につけてきた。僕は暴れたが義父にお尻を1発叩かれて大人しく従った。

腰が抜けている僕を義父はリードを引っ張り「おねだりしなさい。できるでしょ?」と強く言った。僕は義父すら怖く思い、おねだりポーズをした。

「いい子だね」とコックロックを外してくれた。

僕はそれが嬉しくて周りの笑い声も恥ずかしさもなくなり義父の脚に必死にしがみついてわんちゃんをした。

「すげーなw」「可哀想にww」とか言われてたけど気にしなかった。

射精寸前で義父から剥がされて大柄の男の人に両脚を抱えられてM字開脚のままトイレを出た。

僕は抱えられたまま赤ん坊のように振り回したりマーキングだよーと無理やり遊具にちんちんを擦られた。

射精を許されたのはジャングルジムで大人の目線にちんちんが来るように両脚を限界まで開かされ跨っている姿だった。

そのあといつ帰ったか忘れたが気付いたら家にいた。僕は思い出して鬱気味になっていた。

「外は怖いだろう?守ってあげるからね」と義父と母親は洗脳するかのように言い改めた。

いろいろ省くが両親が逮捕されたのは中学卒業してしばらくしてからだった。もちろん性的虐待で。

僕は高校に通わなかった。

バレた経由は未だにわからないし警察は教えてくれない。

もしかしたら公園集団の中にいた人か、露出を見た人か、母親の同人誌を買った人か(何度か本当にしてるのでは?と疑いメール来てたらしい)わからない。

ただ確認を取るために義父や母親が撮っていた動画や写真は一緒に見た。見せてくださいって自分で言った。

その中には僕が寝ているときに僕のちんちんを咥えていたりアナルに挿入されてたり知らない事がたくさんあった。

まだ未成年だからと施設に入れられそうになったが義父の親戚のとこに行った。

その親戚はあの公園の時にいた人だった。

おじさんは飴と鞭というより鞭が強いけど僕は染み付いた生き様は変えられないから幸せだなって思ってる。

おじさんの稼ぎでは僕を食わせてやれないって言われてるから、僕はパパ活やavのギャラとかに出てちまちま稼いでる。

また、義父と一緒に暮らしたいなーなんて思ってる。

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