初体験 童貞

【ゲイ】大学生になった時、4つ下の従弟に処女を奪われました

か弱い乙女心

隆一くんが中学生になった途端、あれほど逃げ回る私を追いかけ回し、ちょっかいをかけていたくせに、家へ来ても私の部屋に入って来なくなったし、顔を合わせても「おぅ」とぶっきらぼうな挨拶をしてくるだけで、よそよそしく無関心を装います。
ずいぶん大人っぽくなったようでした。

私も高校2年生になり、彼が私の細い腕を捻って悲鳴をあげさげたり、部屋に入ってきてベッドにたたんで置いてあった私のズロースを見つけて拡げて振り回して泣かされたりするのがなくなったことには、ほっとしました。

でも少し物足りなく寂しくもありました。乱暴や痛いことは嫌いですが、強い男の子に泣かされてしまう弱い女の子の乙女心を楽しんでいる気持ちの時でもあったことは否定できません。

2年生になってママのパトロンのお仕事の情況が良くなったお陰でお風呂の(それもかなり広い)あるマンションに移ることができたせいで女湯に連れていかれなくなっていました。と言っても相変わらずママと一緒に入って、頭のてっぺんから足の爪先まで幼児のように洗ってもらっていました。

銭湯のように他人がいないし、二人だけなので遠慮無しに抱きかかえられて「可愛い女の子のおちんちん」と揶揄われながら小股を拡げさせて念入りに洗われていました。

ママにそんなことをされていても私の無毛の皮を被った親指のようなおちんちんは勃起するようなことはありませんでした。またママは自分のおさねを指で拡げて見せて説明をしてくれました。それでも私のおちんちんは大きくなりませんでした。かえってママのあそこを見せられて取って食われると思ったのか余計縮み上がってしまったようでした。

しかしママは私のような男でも、女として好きになってくれる男がいるし、女の人もいると教えてくれました。ママはもう私に自分は普通の男性ではないと認めさせようと思っていたようです。

でも学校では何とか普通の男子学生でいたいと努力していました。私を可愛いと思ってくれている女生徒もいることは知っていましたが私は女生徒にできるだけ顔を覚えなれないようにと避けるようにしていました。それは私が銭湯の女湯に入っているのを知られないためでした。家の近くや銭湯の近くで女生徒を見かけたことはありませんがやっぱり心配でした。

高校3年になると大学の志望校を決めなければなりません。私は理工系は始めから行きたくない、経済、法系にも興味がわきません。もともと企業に入って出世することなど男の子らしいことの何もできない私には所詮無理です。自分自身もそんな願望を持っていません。

ママが思っているように結局は私のような男性を好むパトロンのお世話になって、男妾として生きていくだろうなと考えてしまう軟弱さでした。文学部へいきたいと言うとママは「良いじゃない」と賛成してくれました。いろいろ調べていると、中堅の短期大学が来年から男女共学になるとのことで学部も法経済学部系が増えるらしいのです。私は絶対ここだと思いました。4年間も学校嫌いな私には憂鬱だったのに短期大学なら2年ですみます。きっと志望者は少なくて競争率も低いだろうし、自分の成績から見て楽勝のはずでした。

ママにまた話すと「ここはお嬢様学校として有名だったのよ、文学部も男子学生を受け入れてくれるのかしら?」と心配するので、募集要項をよく読むと、家政学部も含めて全学共学となっていたので万歳しました。でも文学部は男子は私独り、家政学部はゼロでしたけど。

受験者は試験日にはみかけましたよ。隆一くんには後で「ふみはやっぱり女子大生になったな」と言われて、処女を奪われ本当に彼の女にされてしまいました。

あの時の痛さは今でもはっきり覚えていますわ。でも終わった後は嬉しくて泣いちゃったけれど。

しまったぁ これを旦那様に読まれたらまたお仕置きが怖いィ・・・・

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